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豊かな海を次世代に受け継ぐための教育とは何か

2020.10.08
豊かな海を次世代に受け継ぐための教育とは何か

東京大学 大学院教育学研究科附属 海洋教育センター
丹羽淑博 特任准教授

日本における海洋教育の拠点といえるのが、東京大学大学院教育学研究科附属海洋教育センターだ。海洋科学と教育学の研究者が協同して、全国の学校や教育委員会、社会教育施設との連携により海洋教育のカリキュラムを開発し、実践と普及のための活動を行う。丹羽淑博特任准教授は、海洋物理学者として体験的な授業を実施、実践の場に立ち、持続可能な未来のための教育を模索している。

立体的な厚みを持つ海の実態を知る

「海洋と人類の共生」を考え行動できる人材の育成をめざす海洋教育だが、その確立には未だ多くの課題があると丹羽氏は考えている。ひとつの課題として、現行の教科書にある海洋に関連する内容が断片的、表層的になっているという問題がある。例えば黒潮と親潮については小学校5年の社会科で学ぶが、太平洋を流れる暖流と寒流という「事実」のみを暗記するものとなっており、子どもたちが得る具体的なイメージは曖昧なものになっている。

丹羽氏は宮城県気仙沼市の小学校で実施した授業の中で、子供たちに「親潮と黒潮どちらのほうが豊かだと思うか?」と質問した。すると多くの子供たちは、暖かそうというイメージをもとに黒潮だと回答したという。実際のところ、黒潮は低緯度域で暖められた表層の海水が深層と混ざらないまま栄養の少ない状態で流れている。その一方、親潮の海では高緯度域で冷やされた表層の海水が沈みこみ上下に混ざることで深層から豊かな栄養が供給されている。これを丹羽氏は色を付けた暖かい水と冷たい水を入れたコップの実験で体験的な理解を促し、水が上下に混ざる過程で起こる栄養塩の輸送や海洋生物の食物連鎖の説明をした。この授業を通じて、子供たちは、海流が教科書で単なる矢印で示される表面的な流れだけではなく深さ方向にも変化する立体的なものであることを理解し、さらにその中に物質と生命の循環があることを知る。

海洋教育の難しいところは、「海」と一文字で表される場が、実際は表層から深層、また沿岸から沖合まで大きな広がりと様々な特徴を有しており、私たちはそのほとんどを直接見ることができないことである。だからこそ、身近な現象や実験を活用して、海の実態や仕組みを分かりやすく伝える努力が必要だと丹羽氏は訴える。

海に関わらずには生きられない

全ての市町村で海洋教育を実践するという目標。その実現には海の広大さだけでなく、地域ごとの違いもハードルとなる。身近に海がある沿岸域の学校と海から離れた内陸部の学校の子どもとでは、日常生活から得られる知識や興味の土台が全く異なるだろう。「海が近い沿岸域であれば、水産業者や水族館を訪れ地元の海を知ることが興味を持つきっかけになるでしょう。その一方、山間部の学校ではどのようにしたら海を身近に感じられるか、例えば地元の郷土料理から海の食材を除いたものを試作し食べ比べてみたりと試行錯誤しています」と丹羽氏は話す。

実は丹羽氏自身は「海なし県」である岐阜県の出身だ。高校卒業まで海に対して高い関心を抱く機会は無かったが、大学で物理学を学ぶ中で乱流というテーマに興味を持ち、海洋物理学の世界へ足を踏み入れたという。ただ、内陸部に生まれ育つ子どもたちが海と全く関わりがないかというと、決してそうではない。「森は海の恋人」とも言われるように、山間地の森林生態系で代謝された栄養が川を流れ下り、海を豊かにしている。また昨今、世界的な問題になっている海洋プラスチックのほとんどは川から海に流入している。また、私たちが日々の生活で排出する二酸化炭素の多くは海水に溶け込み、海洋酸性化を引き起こしている。生活圏に海がなくとも、私たちは海と必ず関わっているのだ。

一人ひとりが学び、考え行動する事が必要だ

海洋教育が目的とする、海と人との共生を考え行動できる人材の育成には、ただ関連する基礎知識の理解にとどまらず、それぞれの地域や社会の活動が海からどう影響を受け、海にどう影響を与えているかを具体的に考える取り組みが必須だ。そのためにも、今後は各地の教員や専門家らが海洋教育の実践や経験を共有し、意見交換する場が必要だと丹羽氏は訴える。海を次世代へ託す為に、教える側も学ばなければならない海の課題が目前に広がっている。海に囲まれ、その恩恵を他国以上に受けている日本だからこそ、海洋環境や海洋資源の保全は国のあり方にも大きく影響する。世界の海は一つに繋がっており、地球温暖化や海洋プラスチック問題、漁業資源の減少など喫緊の課題が浮き彫りになっている。未来を考えるために、子どもたちだけでなく、教員や専門家自身も海洋を取り巻く状況を初心に戻って、一緒に考えてほしいとも丹羽氏は話した。

一人ひとりがどのように海洋に関わる基礎知識(リテラシー)を学び、海との共生をどう考え行動し、次世代に受け継いでいくのか。海洋教育を全国へ広げるためにも、学び続け、意見交換をしあいながら、日本型の海洋教育のあり方を考えていくことが求められている。

宮城県気仙沼市の小学校にて「海の仕組み」について授業を実施する様子

黒潮と親潮の違いを学ぶ実験の様子。二つのコップの間に挟まれた下敷きを引き抜いた際、上側の水の方が暖かければ(黒潮の場合)上下の層が維持されるが、上側の水が冷たければ(親潮の場合)上下に混ざり合う。

(文・小玉悠然)

※『教育応援 vol.46』から転載